ペトラ遺跡とウェストバンク
ヨルダンの首都アンマンに向かう
シリアを南に下り、南部国境からヨルダンに入る。この旅で何回国境を渡っただろう。ただ、この時の入管が一番穏やかだったのは間違いない。シリアからヨルダンのVisaはこの時国境でお金を払えば入国できた。
国境のあちら側で待っている乗り合いタクシーに乗って、ヨルダンの首都アンマンに入る。
アンマンもなかなかに魅力的な街だが、先を急ぐ。ヨルダンに来た目的は二つ。シルクロードの隊商都市ペトラに行くのと、イスラエル入国はシリアからは無理で、ヨルダン川西岸(ウエストバンク)での国境越えを果たすためだ。まずペトラ遺跡を目指す事にする。
アラビアのロレンスな砂漠
ペトラに向けて、見つけた車でひたすらヨルダン砂漠を南に進む。ここはワディ・ラム(月の谷という素敵な名前)という赤い砂が広がる砂漠で、映画アラビアのロレンスのロケ地としても使われた。確かに月のような(行ったことはないが)茫漠とした土地が広がる。まったく人影が無いので、砂漠なのか月なのかアラビアなのか、何時間も走っていると、もうどうでもいいやという気分になる。
インディでジョーンズなペトラ遺跡
ワディ・ラムが終わる砂漠の端に、ペトラ遺跡がある。ここは赤い岩礁のヨルダン渓谷の中に作られた、紀元前から栄えた街だ。紀元1世紀頃、ローマの属国となるが、その後も地中海とアジアをつなぐ貿易拠点として大いに栄えた。その最盛期に岩を掘ってローマ風の建物が作られた。
その後、紀元7世紀にイスラムの勢力が延び、その属国となって主要商路から外れ、前述のパルミラにその座を明け渡す事になる。
ペトラ遺跡前のツーリストインフォメーションに行く。ここが貧乏旅行者の泣きどころ、入城のフィーが高い。それを事前に聞いていたので、途中で会った旅行者から日付が残ったチケットを安く分けてもらっていた。だが、入場の時に他人であるということが見事に見つかってしまい、入れてもらえない。セコい事はしちゃダメですね。しょうがない、なけ無しのお金を払って、ペトラに入る。
ペトラの入り口は、切り立った崖からシークという深い峡谷で始まる。昼間でも暗い切り立った崖に囲まれた、狭い道をひたすら歩く。狭いところでは3-4mで、ロバもギリギリ通れるくらい。まさにインディジョーンズの探検の気分だ。
そしてシークの先から、ドーンと見えるのはエル・カズネ(宝物殿)だ。
宝物殿の中には、、
目の前にそびえ立つ、崖に掘られたエル・カズネは本当に圧巻だ。2,000年前にこの街を訪れたシルクロードの隊商の人々も、入り口にこの建物がお目見えしたら、この街の栄華を知り、さぞかし驚いただろう。宝物殿の高さは40mほど、ビル10階分より高い。その規模の岩を削って、この美しい建物を作るのはどんなに大変だったろうか。昔の人は本当にすごいなあ。
ここは言わずと知れた映画「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」のラストシーンで出てくる所だ。映画では、インディはこの宝物殿の奥深くに入って、数百年生き続ける十字軍の老兵士と出会う。その老兵士が、キリストが最後の晩餐でワインを飲んだ聖杯を守っている、というストーリーだ。
ただ本当のエル・カズネの中は、映画のような奥行きは無く、ただの四角い殺風景な広い部屋があるだけ。当時は、この部屋いっぱいに宝物が置いてあったのだろうか。
これだけじゃない、ペトラのすごい建造物
とにかく広い敷地に、固い岩をくりぬいて作った壮大な建造物がこれでもか!とある。これはもうほんとに圧巻。ペトラには2日ほど宿泊して巡ったが、それでも回りきれない。この敷地の中で迷子になりそう。
迷いながらもペトラ遺跡の一番奥まで歩いていくと、エド・ディル(修道院)という、イスラム勢力が来るまでキリスト教の修道院として使われていた建物がある。
これは入り口のエル・カズネより、更に一回り大きい建物だ。高さは100m以上あり、こちらは上まで徒歩で上がる事ができる。〇〇と物好きは高いのが好き、という事で、もちろん登ってみる。その塔の傘から下、100mを見下ろすと本当に怖い。もちろん手すりも何もないので、全ては自己責任。余裕をブッかまして頂上で寝てみる。
それではそんなペトラを後にして、再度北上する。遂にイスラエル国境に向かうのだ。ヨルダン川西岸(ウエストバンク)、そこを目指すというだけでドキドキしてくる。
世界一緊張する国境、ウエストバンク
この旅では様々な方法で国境を超えた、イタリア – ギリシャ間は船で、トルコへは列車で、シリア入国は徒歩で、というように。そして今ヨルダン – イスラエル、世界一厳しいという国境へ向かう。
イスラエルは中東ではいろいろな意味で特別な国だ。そしてその国境も一筋縄ではいかない。
まずシリアとイスラエルは犬猿の仲で、ゴラン高原を巡って争っているので入国できない。
ヨルダンの間でも、このヨルダン川を渡る橋、いわゆるウエストバンク(ヨルダン川西岸)への国境しか開いていない。
イスラエル国境に向かって、ヨルダン川の方に行く乗り合いタクシーに乗っていると、国境のだいぶ手前で降ろされる。そこからヨルダン出国のための粗末な小屋まで歩く。ヨルダン側に見張り台や国境警備の人たちがいて、皆さん銃を持っていて、否が応でも緊張感が高まる。
この旅では何度もパスポート番号を言わされたので、その小屋でパスポート番号を暗唱しつつ、出国手続きを済ませる。その後いよいよボーダー、川までの緩衝地帯を歩き、そこに掛かる小さな橋に差し掛かる。「あの」ヨルダン川ってどんなんだろう、と恐る恐る近づく。見れば水がほんのちょろちょろ、今にも枯れそうな細い川に、これまた粗末な橋が架かっているだけ。
拍子抜けしながらも、50mくらいの橋を歩いてイスラエル側に着く。なにか360度銃が向けられているようで(実際エルサレム側の見張り台にも沢山の兵士がいる)、ちょっとでも変な動きをしたら、撃たれるのではないかと、緊張感がマックスになる。
驚いたのは、、
そしてイスラエル側の入国審査の小屋に入って、驚く。
この旅では街中でほとんど見かけない、女性がいる。半袖短パンの軍服を着たイスラエル兵士だ。この旅では女性の髪を見るのも稀だが、ブロンドの髪をなびかせた、僕に言わせればよく見るアメリカ人のような、女性兵士たちがそこにいる。とはいえ、みんな目つきは鋭い。そして、淡々と入国審査を行う。
ここで大事な事がある。一旦イスラエルに入国すると、その後イスラムの国は、敵国のイスラエルから来た人の入国を認めない。じゃあ、どうするか。パスポートにイスラエルのスタンプを押す直前に、サッと別の紙きれを渡し、そこにスタンプを押してもらう。そのあとイスラム系の国に入る時は、そのスタンプが押された紙を廃棄し、イスラエルに入国した事実を亡きものにするのだ。
この手続きも緊張感があったが、なんとか別の紙にスタンプを押してもらって、イスラエル入国を済ます。
ここで荷物などを置いて、トイレなどに行ってはいけない。ここイスラエルでは持ち物をちょっとでも置き去りにすると、爆弾と見做されて、没収、最悪逮捕されてしまうのだ。なかなかの緊張感。
兎にも角にも、あのヨルダン川西岸に渡った!そしてここは、パレスチナとの領有を巡って、まだ国境線が曖昧な所だ。
でもここに何があるんだろう。
イスラエル側に停まっているバスがいて、どうやらこれに乗るしか無いようだ。このバスに乗って西岸をゆく。と言っても、周りは茫漠たる白い丘が続く、何も無い所だ。ところどころ丘の中腹に小さい家が点々とするのみ。特にめぼしいものはなく、言ってしまえば何も無い砂漠のような所。なぜここの領有を巡って、永遠に争っているのだろう。外国人の僕には分からない。
幾つかバスを乗り換え、いよいよあの永遠の聖都エルサレムに向かう。
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Ken YOSHIDA 𠮷田 顕一
世界50カ国以上を旅し、時々旅行記を書いています。それ以外にトライアスロン・レース、メイカー・フェア(モノ作り展示会)で世界中を回る。AmazonでKindleとペーパーバック書籍を出版 https://amzn.to/3VHiOGj