3. Istanbul

3. イスタンブールとトルコの大地

ヨーロッパとアジアの間でサバサンド

ギリシャから夜中のトルコ国境を渡る。そこから列車に乗り換え、明け方のイスタンブールに着く。

真夜中の国境列車だけどなんだか余裕の表情

早朝のアザーン(大音量のコーラン礼拝の呼びかけ)が聞こえると、そこがアジア、と言うより、中東に来た事を否応でも感じさせる。

駅からトラムに乗り換え、朝日を浴びたボスポラス海峡、そこに架かるガラタ橋に着く。

ガラタ橋の袂で、小さな船が何艘もあり、そこからサバサンドを売っている。釣竿でサバを釣りながら、そこで揚げてる。小さな船なので無茶苦茶揺れてる。

サバサンド屋の船

揚げた鯖がパンに挟まっているだけだが、塩味がついててウマい、なんかホッとする。

取り敢えず、旧市街のバザール近くに安宿を見つけ、バッグを置いて、街中に出かける。

アザーン(コーラン礼拝の呼び掛け)が鳴り響く

コンスタンティノープルの興亡

1700年前の西暦300年頃に、ローマ皇帝コンスタンティヌスが、ビザンティオン(Byzas神の街)と呼ばれていたこの場所を、ギリシャ語でコンスタンティノポリスと呼んで、遷都したのがこの街の始まりだ。この時西側のローマが崩れ、東ローマ帝国となり、その後昔の街の名前を取ってビザンチン帝国/時代と呼ばれている。今ローマからここにやって来て、だいぶ遠く離れてるな、と思いつつ、こんな荘厳な都をよく建てたものだと驚く。

ローマ帝国は、2000年前にイエスの教えは邪教だとして彼を磔刑に処し、その後も300年に渡り迫害を続けて来た。しかし西暦312年にそのコンスタンティヌス帝自身がキリスト教に改宗した為、東ローマ帝国の国教になった。それでこの地に、世界一大きい教会アヤソフィアが建設された。

あまり比べても意味ないが、当時は〇ウム事件の最中だったから、これから300年後にそんな宗教が国教になる日が来る、なんて事があるんかなと変な想像をする。

そしてそこから約1000年後の1453年に、イスラム教のスルタン・メフメト2世が、この堅牢な要塞都市を8週間の攻防の末攻め落とし、イスラムの都イスタンブールとする。

メフメトはイスタンブール入城後直ちに、大聖堂アヤソフィアを、そのままモスクに変えて、それが今目の前にある。

アヤソフィア(聖なる叡智)

その向かいにはオスマントルコ時代に建てられた、世界で最も美しいスルタンアフメト・モスク、通称ブルーモスクがある。

そんなに青くはないが、アヤソフィアが赤っぽいのに対して、ブルーモスクと呼ばれている

イスタンブールは全てが圧倒的。アヤソフィアとブルーモスクだけでなく、その裏にあるトプカプ宮殿など、とにかく建造物がデカい、豪華、荘厳。

トプカブ宮殿は、スルタンの玉座があったり、有名なハーレムの中まで見る事ができ、本当にこれでもかというくらい見どころ満載。一言では片付けられ無い歴史の重みがある。

トプカプ宮殿の中、なんか知らないけどすごい

黒海クルーズ

次の日はガラタ橋近くから小型船に乗って、ボスポラス海峡を北上し、黒海までの半日クルーズに出る。

この狭い海峡を争って、世界中の人々がこの東西の十字路を行き交ったかと思うと、ロマンを感じる。

黒海近くの小さな岬に着く。水は黒というよりは、鮮やかなブルー。美しい。あの先は、ロシアかと思うとなんとも感慨深い。

あの先はロシアだ

ボスポラス海峡には数本の橋が架かるが、それは日本企業がサポートしてくれたものだ、と船内アナウンスで言ってくれている。意外といい事してるじゃん、ジャパン!

シーシャの煙と世界三大料理

帰ってきて、中東最大と言われるグランバザールの中をそぞろ歩く。

さすがシルクロードの交差点、なんでも売っているというので、我々も何か記念になるものを買ってみる事にする。

さんざん探し回った挙句僕は、ターコイズ(トルコ石)でできたという小さなカエル(?)をゲット。なぜ?と自分でも思うが、東西を行き来して何故かここにいるカエルが、買って欲しげにこちらを眺めていた気がするから。トルコのおっちゃんとの値切り交渉はハードながらも楽しかった。

旧市街地をブラブラすると、とにかく猫が多い。猫の顔もヨーロッパとアジアが混ざっているようで凛々しく可愛い。

妙に凛々しい

お腹が減ったので、旧市街バザール近くのカフェ?屋台?で夕食。トルコ料理は世界三大美食の一つという事になっていて、主に羊肉の料理がウマい。コーヒーはトルコが発祥だよ、と店のおっちゃんが頼みもしないのにコーヒーを出してくれる。

周りのお客はみんな、シーシャ(水タバコ)から煙を出して吸っている。これはものは試しだ、吸ってみよう。いろんな味があるようで、僕はアップル味のシーシャを吸ってみた。水を通っているせいか、あまり煙くなく、りんごの甘い香りが意外とイイ、なんとなくリラックスする気がする。ラリってる訳ではない。

ラリってる訳ではない

それでは、イスタンブールを堪能したので、トルコ大地の中心部、カッパドキアに向かう事にする。

奇岩ホテル

トルコの大地アナトリア平原をバスでひた走る。向かった先は、トルコのど真ん中、奇岩が立ち並ぶカッパドキア。

ニョキニョキ不思議な岩が広がるカッパドキア。ここで気球に乗るとその全貌が見えるのだが、もちろんそんなお金は無いので、近くにいたお兄ちゃんたちと交渉して、車を一日チャーターして、カッパドキアの奇岩巡りに出発。

この時のドライバーのお兄ちゃんは気がいいやつで、英語も通じるし楽しい岩巡りになった。

カッパドキアは無茶苦茶寒い。ところどころ雪が残っている

カッパドキアの奇岩たちはほんとうに不思議。キノコの形だったり、人の形だったり、岩が様々な形になっている。人間の営みよりもずっと昔からの自然の摂理によって、石灰岩が削られて、不思議な形をした岩が辺り一面、広大な土地の中に広がっている。

しかしカッパドキアでより目を引くのは、この奇岩の中に無数の教会があり、岩の天井などにフレスコ画のような絵がたくさん描かれている事。オスマントルコ時代に、キリスト教が迫害を逃れた信者達が、ひっそりとここに集まって暮らしていたそう。暖房などまったくない昔、岩の中での生活は物凄く寒く、その隠者達の生活はさぞ大変だっただろう。信仰心だけが頼りだったのかもしれない。

巌窟の中の教会
奇岩の中をインディ気分で探検

その後、岩をくり抜いたのをそのままホテルにした奇岩ホテルを見つけてそこにチェックイン。

と言っても、僕らの泊まったところはまったく高級なところではなかったので、岩肌のベッドルームは妙に寒い。トルコ中部は乾燥していて恐ろしく底冷えする。

シャワーも水がチョロチョロ出るだけで、日中の埃を流そうにも、寒くて体を洗ってすぐ出てくる。

こんなんで眠れるのか!とも思ったが、疲れていたのか深い眠りに落ちる。

ほんとうの中東、アラブ世界へ

深い眠りに落ち、幾つかの夢を見たような気もするが、朝起きて奇岩ホテルを出る。そしてカッパドキアを立って、バスで南下する。

トルコの大地は広い。トルコの海岸線はとても美しく、素敵なビーチリゾート、アンタルヤなどもある。白い石灰岩のテーブルが有名なパムッカレも行ってみたい。またイエス亡き後、聖母マリアはトルコまで歩いてきて、南部で没したという説もある。

色々行きたい所はあるが、どんどん南に向かう事にする。トルコ最南部のアンタキアに到達し、そこから本当の中東アラブ圏シリアに入る。ドキドキ

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Ken YOSHIDA 𠮷田 顕一

世界50カ国以上を旅し、時々旅行記を書いています。それ以外にトライアスロン・レース、メイカー・フェア(モノ作り展示会)で世界中を回る。出版した旅行記などはこちら: https://amzn.to/3Sz2Z4f