2. Greece

喧騒のアテネ、神託のデルフォイ

エーゲ海の風

朝起きると、甲板から見えるエーゲ海のキラキラした光が眩しかった。

ローマからエルサレムを目指す旅で、途中ストにあいながらも、イタリアの南端ブリンディシから、ギリシャ行きの国際船に乗る事ができた。

船は雑魚寝の船室だが、これでも立派なエーゲ海クルーズ。目的地のギリシャの港町パトラまでは約20時間の船旅だ。

今日の昼にはギリシャに着くはずだが、高校の友達ナオトとアテネのユースで落ち合うはずの約束の日は、とっくに過ぎている。

国際線の船の中はデューティーフリーなので、お酒が安い。昨晩はイタリアのモレッティ(ビール)をここぞとばかりに飲んで、いい気分で就寝。

これも立派なエーゲ海クルーズ

朝起きて、眠気覚ましに甲板まで上がって、海の風を感じる。遠くの方にうっすら見えるのはペロポネソス半島、オリンピアやマラソンの発祥地がある。そこはヨーロッパ文明の生まれた場所、ギリシャの大地だ。


今からちょうど900年前の西暦1098年頃、キリスト教の修道院だったテンプル騎士団が、イタリアを立ってエルサレムを目指した海路と同じだ。ロドス島とかクレタ島も見えたりしないかな。

ギリシャの光

船は順調に進み、陸地が大きく見えてくる。まだ二月初め冬のヨーロッパだが、南に来るにつれ温かくなってくるのが分かる。

そしてついにギリシャに着いた!パトラの港だ!これがギリシャの光だ!

パトラの丘の上から

パトラに着いて簡単な入管を済ませ、ギリシャ入国。当時はユーロ導入前だが、国境の手続きはあっけない程簡単だった。

まだナオトがアテネで待ってくれているかは分からないが、ここパトラからアテネまでは数百キロある。途中オリンピアやマラトンの丘を眺めていきたい気持ちもあるが、それを抑えて直行のバスでアテネを目指す事にする。

白く砂漠のような大地をボロいバスがひた走る。もうギリシャの午後は暑い。

5時間近く揺られて、夕闇のギリシャの首都アテネに着く。

喧騒のアテネ

ギリシャと聞いて思い起こすイメージは、白亜のパルテノン神殿、文明の発祥地、エーゲ海のリゾート、と言ったところだ。

そんなイメージで、アテネの街に降り立つと、ちょっと雰囲気が違う。何かゴミゴミしていて、人もうつむき加減だ。どうやらギリシャの景気は悪いらしく、当時の通貨ドラクマもレートが悪い。スリも多いと聞く。

街の中心地シンタグマ広場を通り過ぎるも、ちょっと治安が悪そうで、ソクラテスやプラトンが語りあった哲学の道という印象は皆無だった。

それより急がねば。旅仲間ナオトとここアテネで落ち合う約束は、金曜日だった。そして今日はもう日曜日、三日も過ぎている。居ないとは思っていても、アテネのユースホステルを探す。しかし、ここで誤算が、、、アテネには複数のユースホステルがあったのだ!

早稲田出身のナオトとは「じゃ、馬場のビッグボックス前で集合ね」的な感じで、「アテネのユースで金曜夜に会おう」と適当なやり取りしかしていなかった。

どのユースに居たのか全く検討がつかない。。

まずはパルテノンに近いユースホステルに行ってみる。ホステルの受付の人に、日本からナオトという人は来てなかったか?と聞いてみる。受付の人はめんどくさそうに、宿屋の台帳をパラパラめくる。適当に見ているので不安だが、そんな名前は無いという。本当か?と何度も確認するが、どうやらここには来なかったらしい。

半ばやけになって、もう一軒のホステルに向かう。

ここは入ってすぐに広い共同スペースがあって、世界中の若者たちが集っている。

ここに日本人(ヤポーナス)は来てなかった?と聞いてみる。そこにいる全員 ”It’s all Greek to me”(それはみんなギリシャ語みたいで)さっぱり分からない!という顔をしている。そう、僕の下手くそなギリシャ語がわからなかったのだ。しつこく聞いてみるも、日本人風なやつは全く見かけなかったとのこと。

あー、もう会えないのか、このギリシャにひとりぼっちか、とかなーり寂しくなった。

そして入って来たのは

まあ焦っても始まらない、今夜泊まる所はここに決めて、バックを置き、その共同スペースにいるバックパッカー達と世話話を始める。

そんな時に、、、入り口のドアが開いて、アジア人らしき若者が入ってきた。

そして、、「ヨシケン、おせーよ!」いつもの調子でナオトが話しかけてくる。

僕はビックリして、「ナオト、、、おー、ナオトじゃないか!」と大声をあげる!「ごめん、ごめん、イタリアでストがあって、、」と言い訳するも、懐かしの友達の顔が見れて、心底ホッとする。

ナオトは、僕が約束の日を過ぎても、全く音沙汰が無く、待ちきれずに明朝にも出発しようとしていたらしい。僕がこの共同スペースでダベっていなかったら、すれ違いになっていたかもしれない。

とりあえずナオトと同室にチェックインし、その晩は再会を喜んでギリシャのビールで乾杯する。

パルテノン神殿

次の日、とりあえずパルテノン神殿に行こう、という事になる。ナオトはこの暇な間に何度もパルテノン付近に行ったらしく、気乗りしない。しぶしぶアクロポリスの丘に付き合ってくれる。

アクロポリスの丘の上にパルテノンはある

さまざまな街が坂でつながったようなアクロポリスの丘だが、その道沿いにたくさんの小さなお土産物屋やレストランが立ち並ぶ。

その坂を登り切った先に、あのパルテノン神殿が見えてくる。


今からちょうど2,500年前の紀元前500年頃、パルテノン神殿はペルシャ戦争後に、当時の技術と芸術の粋を尽くして建てられた。そんな神殿が2500年の時を経て、今なお健在なのは凄い。ただその時は、神殿の周りは工事、修復中で雑然としていた。

それでもパルテノン前でナオトくんとパチリ。

アクロポリスの風は強い

パルテノンを見たらもう思い残すことは無い、アテネを出よう。

次の目的地イスタンブールを目指すため、アテネから長距離列車のチケットを取る。途中、ギリシャの神々の御神託が降りたという、デルフォイに立ち寄る事にする。

神託のデルフォイ

アテネから電車に乗って約10時間、デルフォイの街に着く。

デルフォイの神託とは、紀元前からあるアポロン神殿内で、神がかった巫女が神様のお言葉(神託)をくれる場所。要はよく当たる占い場みたいな所だったらしい。

ここの門前に、有名な神託(ORACLE)として「知らないを知る」ことが大事、と掲げられている。当時僕は大学を卒業したら、アメリカのソフトウェア会社のORACLEで働く予定だったので、なんと無く縁を感じる。その時はコンピュータやインターネットもよく知らなかったのだが、自分が「知らないを知る」為に、よく知らないアメリカの会社に行く事にしたのかもしれない、とも思う。

2月というのにギリシャ中部は刺すような日差しで、僕らは早々にデルフォイを後にした。

イスタンブールへ

デルフォイから、ギリシャ=トルコ国境に向かう長距離鉄道に乗る。

当時は、ギリシャとトルコの関係は最悪で、キプロス島を巡って両国の間は一触即発の状態だった。トルコ国境に向かう列車の中は、トルコ人風の乗客が増えるが、ギリシャの人たちからは、何か歓迎されていない様子だ。

もう真夜中だが、なかなか国境に着かない。そして国境のかなり手前で列車は止まり、ここからは歩いて行け、という。しょうがないのでバックパックを背負い、真っ暗闇の中、歩いて国境まで行く。両国の関係が悪いのは分かるが、こんな意地悪しなくても。。

それでもここがヨーロッパの東端のギリシャ。そこからアジアの入り口イスタンブールに向かうんだ、と思うと胸が高鳴る。トルコを越えれば未知の世界、中東に入る。

これからどうなるんだろう、という思いと共に真っ暗な国境を越える。

Ken YOSHIDA 𠮷田 顕一

世界50カ国以上を旅し、時々旅行記を書いています。それ以外にトライアスロン・レース、メイカー・フェア(モノ作り展示会)で世界中を回る。出版した旅行記などはこちら: https://amzn.to/3Sz2Z4f