白河の関

芭蕉は、夢にまで見た白河の関に2週間かけて来て、ここからが旅だ、との思いを強くしたそう。

確かに行ってみると那須、白河付近の道は険しく、これより先が東北なんだな、と思わせる。ただ本当の峠には白河の関は無く、そこを越えたなだらかな盆地のような所に関所があり、ちょっとホッとする場所でもありました。

白河関の周りは、神社や境内などがあり、その中に芭蕉の碑もある。周りは古い巨木の杉が立ち、何かパワースポットのようにも感じられる。このパワーを芭蕉も借りて、これからの本当の奥の細道に向かったんだなと思う。

霞とともに たちしかど秋風ぞ吹く 白河の関

白河の関までが一つの関門で、芭蕉はここまで2週間ほどで到着しました。

最初は旅といっても実感がわかない日々が続いたが、白河の関にかかる頃になってようやく旅の途上にあるという実感が湧いてきた。

平兼盛は「いかで都へ」と、この関を越えた感動をなんとか都に伝えたいものだ、という意味の歌を残しているが、なるほどもっともだと思う。

特にこの白河の関は東国三関の一つで、昔から風流を愛する人々の心をとらえてきた。

能因法師の「霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白川の関」という歌を思うと季節は初夏だが、秋風が耳奥で響くように感じる。
また源頼政の「都にはまだ青葉にて見しかども紅葉散りしく白河の関」を思うと青葉の梢のむこうに紅葉の見事さまで想像されて、いっそう風雅に思えるのだった。

真っ白い卯の花に、ところどころ茨の白い花が咲き混じっており、雪よりも白い感じがするのだ。

陸奥守竹田大夫国行が白河の関を越えるのに能因法師の歌に敬意を払って冠と衣装を着替えて超えたという話を藤原清輔が書き残しているほどだ。

卯の花をかざしに関の晴着かな 曾良
(意味)かつてこの白河の関を通る時、陸奥守竹田大夫国行(むつのかみたけだのだいふくにゆき)は能因法師の歌に敬意を表して 衣装を着替えたという。私たちはそこまではできないがせめて卯の花を頭上にかざして、敬意をあらわそう。

白河の関の碑からBashoBotの一句:

松葉舞う 森深き白河関 春風と共

BashoBot3.5

世の人の 見付ぬ花や 軒の栗
(意味)栗の花は地味であまり世間の人に注目されないものだ。そんな栗の木陰で隠遁生活をしている主人の人柄をもあらわしているようで、おもむき深い。

田一枚 植て立去る 柳かな
 
卯の花を かざしに関の 晴着かな

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白河の関までが一つの関門で、芭蕉はここまで2週間ほどで到着しました。

最初は旅といっても実感がわかない日々が続いたが、白河の関にかかる頃になってようやく旅の途上にあるという実感が湧いてきた。

平兼盛は「いかで都へ」と、この関を越えた感動をなんとか都に伝えたいものだ、という意味の歌を残しているが、なるほどもっともだと思う。

特にこの白河の関は東国三関の一つで、昔から風流を愛する人々の心をとらえてきた。

能因法師の「霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白川の関」という歌を思うと季節は初夏だが、秋風が耳奥で響くように感じる。
また源頼政の「都にはまだ青葉にて見しかども紅葉散りしく白河の関」を思うと青葉の梢のむこうに紅葉の見事さまで想像されて、いっそう風雅に思えるのだった。

真っ白い卯の花に、ところどころ茨の白い花が咲き混じっており、雪よりも白い感じがするのだ。

陸奥守竹田大夫国行が白河の関を越えるのに能因法師の歌に敬意を払って冠と衣装を着替えて超えたという話を藤原清輔が書き残しているほどだ。

卯の花をかざしに関の晴着かな 曾良
(意味)かつてこの白河の関を通る時、陸奥守竹田大夫国行(むつのかみたけだのだいふくにゆき)は能因法師の歌に敬意を表して 衣装を着替えたという。私たちはそこまではできないがせめて卯の花を頭上にかざして、敬意をあらわそう。


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