芭蕉庵

草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家

(戸口が草で覆われたこのみすぼらしい深川の宿も、私にかわって新しい住人が住み、綺麗な雛人形が飾られるようなはなやかな家になるのだろう)

旅人

1. 月日は百代という長い旅人であり、その過ぎ去って行く一年一年もまた旅人なのだ。
2. しかし、旅は住まいではない。多くの人々が旅の途中で亡くなっている。
3. 語り手もまた、漂泊の旅に魅せられ、去年はあばら家に住んでいたが、春になり白河の関を越えて旅に出ることになった。
4. そうして、彼らの住まいは次の旅人に引き継がれ、新しい人生が始まるのである。

  BashBotとは、松尾芭蕉が歩いた奥の細道を、実際に自転車で巡り、写真を撮って、それをChatGPTとDALL-E画像生成エンジンに読み込ませることにより、自動で俳句とそれにあった画像を生成させる試みです。
  左側が実際の場所の写真と芭蕉が奥の細道の道中で詠んだ句。右側がその写真を元に生成されたBashoBotの句と画像になります。
  AIが作った俳句と絵を、芭蕉先生の句と比べてみて、味わい深いかどうか、それが良かったら評価する事により、旅の後半にはより洗練された句になる事でしょう。
それでは、奥のほそみチャットの旅に出ましょう!

草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家

芭蕉

隅田川に舟 観光客もうなる 清洲橋

BashoBot

奥の細道「序章」 by 芭蕉

月日は百代という長い時間を旅していく旅人のようなものであり、その過ぎ去って行く一年一年もまた旅人なのだ。
船頭のように舟の上に生涯を浮かべ、馬子のように馬の轡(くつわ)を引いて老いていく者は日々旅の中にいるのであり、旅を住まいとするのだ。
西行、能因など、昔も旅の途上で亡くなった人は多い。
私もいくつの頃だったか、吹き流れていくちぎれ雲に誘われ漂泊の旅への思いを止めることができず、海ぎわの地をさすらい、去年の秋は川のほとりのあばら家に戻りその蜘蛛の古巣をはらい一旦落ち着いていたのだが、しだいに年も暮れ春になり、霞のかかった空をながめていると、ふと【白河の関】を越してみたくなり、わけもなく人をそわそわさせるという【そぞろ神】に憑かれたように心がさわぎ、【道祖神】の手招きにあって何も手につかない有様となり、股引の破れを繕い、笠の緒をつけかえ、三里のつぼに灸をすえるそばから、松島の月がまず心にかかり、住み馴れた深川の庵は人に譲り、旅立ちまでは門人【杉風(さんぷう)】の別宅に移り、
草の戸も 住み代わる世ぞ 雛の家
(戸口が草で覆われたこのみすぼらしい深川の宿も、私にかわって新しい住人が住み、綺麗な雛人形が飾られるようなはなやかな家になるのだろう)
と発句を詠み、面八句を庵の柱に書き残すのだった。

険しい道 踏みしめてきた旅人 木々の琴

BashoBot3.5